子供たちの夏休みが明けました。私は相変わらず自宅勤務なので、静かな環境嬉しいです。A田です。
ツールドフランス開幕が週末に迫ってきました! え?チーム・プレゼンテーションは明日の深夜?
というわけで、開幕前までに「これだけは言っておきたい」と思うことを大急ぎで記事にしていこうと思います。
今回は、トレック・セガフレドのリッチー・ ポートです!
去年のツール前の記事
私はここ数年、ポートの「ツール総合表彰台」という目標を熱烈に応援しています! その理由になったインタビュー記事をご紹介したいと思います。
リッチー・ポート「エースとして最後のツール」を明言
今年の5月、ポートは早々と「エースとして最後のツール」とコメントしました。
「ダウンアンダーやパリ〜ニースのようなレースではまだ勝てるが、アスリートとして(エースを担う)時期は過ぎようとしている」「来年は36歳になり、(グランツールのような)長期間のレースでの最高の日々はもう終わっていると思う。自然と違った役割を引き受けることも考えている」
35歳のグランツールエース
「今年がエースとしては最後」 リッチー・ポートのツールへの決意(cyclowired)
こういう、勝負の前に弱気とも取れる発言をしてしまうところ、自然体で本当にいい人なんだろうなと思います。でも、正直すぎて「勝負っ気足りなくない?」と心配になります。その点、いい意味で腹黒そうなライバルたちには敵わなそうです…(誰とは言わない)。
それならダウンアンダーでこれからも勝ってほしい。今年の記事はこちら
35歳、総合表彰台へ最後のチャレンジにくらいつけ
1985年生まれ、35歳のポート、フルームと同い年です。ニバリは84年、ゲラント・トーマスは86年で同年代。
ポートと同じトレック・セガフレドのニバリは、ジロデイタリアを選んでツールには出ません。これは本当によかった。ニバリにもう一度ジロで勝ってほしくて、ツールでポートに総合表彰台に乗ってほしい私のためにもよかった。
そして、イネオスのフルームとトーマスは、ベルナルにエースをゆずりツール欠場。
涙のアシュラマンなんですよこれは!
みんなまだ「来年はツールに…」って考えてそうだけど。でもやっぱり、35歳って節目の歳なんですよね。引退したアルベルト・コンタドールの最後のツールも35歳でした。
例外もいっぱいあるとは思います。モビスターのアレハンドロ・バルベルデは今年40歳でもエースでツール走るし。ダブルエース、トリプルエースだったりで事情は色々違うけど、2015年に35歳で総合3位になってます。
(ちなみにバルベルデは一昨年ツールで怪我したとき医師に「野心は18歳並み」といわれたとどこかで読みました(「回復力は○歳並み」に続く言葉だったんだけど、こっちは何歳だったか忘れた))
とにかく。
ポートもいけるいける!
ポートの夢は「実家の壁にツール総合表彰台の写真を飾ること」
ここから本題です。
私は2018年のciclissimoでポートのインタビュー記事を読んで、彼の「実家の壁にツール総合表彰台の写真を飾る」という夢を全力で応援したくなりました(テレビの前で応援するだけだけど)。
この号です
以下、ロングインタビューの最後のフレーズを丸ごと引用します。(改行や強調は私が勝手にしました。あしからず…)
オーストラリアでテレビでツール・ド・フランス中継を見ることが、どういう意味なのか知ってる?
ここ欧州とは違うんだ。
ビーチから帰ってきて、午後時4頃になんとなくテレビをつけて、大して興味もないテレビドラマの続きを見るような感じでステージの最終盤を眺めるような……
そんなものじゃない。
オーストラリアは真冬の午前2時。強い意志が必要なんだ!
少年時代の僕は、ツールを見逃さないように、目覚まし時計をかけたもんさ。僕の母もそうだ。僕がソファーで興奮しながら中継を見ている間、母はアイロンがけをしていた。
あのプロトンの中で走るのが夢だったな。だから、うん、キャリア最後の目標は、僕がツール・ド・フランスの最終表彰台の上に立っている写真を、実家の壁に飾ることだ。
<引用終わり>
何回読んでも感動します。リッチー・ポートを応援する理由。これがすべてです。
蛇足ですが、この後2018年のツールでは、前年に続いて第9ステージで落車しリタイアしてしまいます…。
そしてその不運の流れは2016年のリオデジャネイロ・オリンピックからだという
ちなみに「タスマニアはオーストラリアで一番ダサい場所」
上記のインタビューで「なぜオーストラリアのチームで走らないの?」という質問を受けたポートの発言。
「僕はタスマニア出身だ。つまりオーストラリアで一番ダサい場所さ。この島について、オーストラリア大陸のたいていの人は関心を払おうとしないし、存在さえほとんど忘れてる。彼らから助けてもらったことなんてない!」
率直ですね〜。オーストラリアで「個人的な助けはあった」としたうえで、「僕をはじき出したのは、国のシステム」と言っていました。
自国オーストラリアで育成対象になることもなく、早くから欧州に渡ったポート。難しい環境でキャリアを築いたおかげで、プロ入り後は即戦力になれたということを語っています。「真綿にくるまれて育てられたオーストラリア選手と比べたら当然だよね」なんて。言い方!直球!
でも、リッチー・ポートの人柄の一端が掴めた気がしますよね。
さらにいうとですね。
「タスマニア物語」を映画館で観た昭和のテレビっ子的には、「タスマニアデビル」の異名を持つポートは謎の親しみ深さがあるのです。
これです。フフフフフフ〜フフフフフ〜♪
今年のツール総合表彰台はどうなるか…
楽しみです!!