2016ツールドフランスの思い出&末っ子出産記④ ヨン様のツール初勝利がくれた幸せ

立秋とともに開催されたミラノサンレモ。日時を間違えていて見逃してしまった…

と、思ってるうちにクリテリウム・ドゥ・ドーフィネが始まり、お盆休み=家族サービス期間に突入し、イル・ロンバルディアも終わってしまいました。

思い出話してる場合じゃないけど、せっかく始めた2016年ツールドフランスと自分の出産の思い出話、フィナーレまで書きたいと思います。

その1:臨月とツールドフランス2016

その2:中耳炎になって

その3:おたふく風邪になって出産

末っ子を早朝に出産したその日ツールドフランス第20ステージを迎えていました。

おたふく風邪で出産するとこうなる

大人の中耳炎で通院していた耳鼻科でもらったのか(定かではないが)、大人のおたふく風邪になった2日後、38℃の熱のまま出産した私。

熱が下がるまで母子接触不可

出産時に38℃あってもまったく問題はありませんでしたが、産後に困ったことが起こりました。

産院は息子を生んだ時と同じところで、出産直後から母子同室OKのはずでした。しかし、今回は「熱が平熱に下がらないと母子接触させられない」とのこと。

24時間以内に授乳できないのは困る…!

一応マスクしていた覚えがあります。末っ子にはうつりませんでした

私は第1子の娘の時に、母乳育児推進の総本山みたいな病院で出産しまして「産後24時間以内にどれだけ授乳できるかが、母乳育児の成否を決める」と叩き込まれていました。そこで、

夜の回診までに熱を下げてみせる!!

と、イキリました。早朝に出産した後、解熱鎮痛剤も飲むのを断って後陣痛とおたふくに耐えて日中を過ごしました。

赤ちゃん預けっぱなしで思い切り休めばいいじゃん。ミルク育児すればいいじゃん」と、今の私なら思います。若かったな。

ともかく、耐えた甲斐があり、夜の回診時には平熱になりました。

平熱に戻った後は、母子まとめて隔離

こうして無事に初の授乳に漕ぎ着けまして、その後は退院日まで母子ともに病室に隔離されることになりました。

家族以外の面会はなし。入院中のお楽しみである「新生児室に預けてゆっくり寝る」もなし。

なのですが、その時は我が子と同じ部屋で過ごせることになってとにかくホッとしました。そして、

ツールどうなった?

と思う余裕も出てきたのでした。

Wi-Fiがない病院でも余裕で視聴可!J Sportsオンデマンド

末っ子を産んだその日の夜、私は産院の個室からJ Sportsオンデマンドと契約しました。Wi-Fiなしでしたが、契約直後からスマホで問題なく視聴できて感動したのを覚えています。

まずは第20ステージが始まる前に第19ステージを追いつき視聴し、雨の山岳でフルームリッチー・ポート、ピエール・ロランモレマ落車を見ました。

1人目の入院中は新生児にかかりきりで食事もできませんでしたが、3人目なら余裕でツールドフランスを見ていられるわけですね。経験値って大事ですね。

第19ステージはバルデが優勝しました。息子がAG2R好きだったのでホロホロしました。

第20ステージ、ヨン・イサギレ・インサウスティの勝利

さて、いよいよ第20ステージのライブ中継。出産ハイ、おたふく風邪ハイもあいまって最高に幸せな気分でした。

この日までにフルームは総合タイムで2位以下に4分以上の差をつけており、総合優勝はほぼ決まり。というわけで2位、3位の総合表彰台争いの方が熾烈でした。

第20ステージ出走時の総合順位

  1. フルーム
  2. バルデ +4’11”
  3. キンタナ +4’27”
  4. アダム・イェーツ +4’46”
  5. ポート +5’17”
  6. アル +6’00’
  7. バルベルデ +6’20”

ミッチェルトン・スコットの動画、後半がレース(公式動画は貼れないので…)

ツール最終盤のバックステージを見ると、無条件にうるっとしてしまいます。アダム・イェーツは総合4位、新人賞のホワイトジャージと本当に健闘しました。

危険なダウンヒルを迷うことなく速く下ったのは

で、ヨン様ことヨン・イサギレですが。当時27歳、バスクっ子の彼はモビスターにいました。エースであるキンタナの総合優勝がチームの使命だったわけですが、この日すでに総合2位がほぼ決まっていました。

詳しいレース展開は綾野さんのスリリングなレポートをご覧ください。

最後の峠で先頭はニバリ、パンタノ、イサギレの3人になり…

峠と言うには明確な頂上が無いジュー・プラーヌの頂上付近。山岳ポイントが設けられている地点を通過しても緩斜面区間が4km続き、すぐに下り始めるわけではない。ニーバリに追いつくパンタノ。そして静かに追い上げ、追いついたイサギーレ

もともと「ダウンヒル巧者」の名は別の二人、ニーバリとパンタノにあった。しかし標高1656mのランフォリーのピークから1000mのモルジヌまで、濡れて滑りやすい、危険極まりない8kmのスーパーダウンヒルに迷うこと無くリスクを負って速く下ったのはイサギーレだった

ツール・ド・フランス2016第20ステージ現地レポートby綾野 真
雨に濡れた峠の危険なダウンヒル 二兎を追ったアスタナの作戦は結実せず(cyclowired.jp)

この日のJ Sports実況永田実さんでした。手に汗握る雨のダウンヒルとともに「ヨン・イサギレ・インサウスティ! ヨン・イサギレ・インサウスティ!」という永田さんの声が記憶に焼きついています。

一生忘れられない映像

スペイン人の苗字は、父方と母方の姓が2つ並んでますよね。でも、バルベルデにしろ、コンタドールにしろ、もう一つの姓(たぶん母方、後ろの方)は省略されて呼ばれてますよね。

あまりにかっこいい苗字だから読んじゃったんでしょうね。

当時のヨン様の戦歴を見てみると、前年の2015年ツール・ド・ポローニュで総合優勝2016年ツール・ド・ロマンディ総合3位ツール・ド・スイス総合2位、とワールドツアーで好成績を納めはじめたところでした。極めつけが、ツール初勝利。

モビスターとしてもこの大会、最初で最後の勝利でした(多分)。

その後、ヨン様はバーレーン・メリダに移籍。2019年からはアスタナで走っています。昨年は地元のイツリア・バスク・カントリー(バスク一周)で総合優勝しました。

予習記事はあるけどレポート記事はなかった←反省

こうして末っ子の誕生日(オリジン)は幕を閉じた

陣痛が強まったのが未明。そこから約24時間、長い1日はヨン・イサギレのさわやかなステージ勝利で幕を閉じました。さまざまな病に倒れ辛かった私の最後の出産も終わり「もう2度と産まなくていい(多分)」というのもあいまって、最高に幸せな時間でした。ありがとう、ヨン様。

そして、末っ子の誕生日、来年は東京オリンピックの開会の日になります。もちろん、開催されればの話ですが…

今後もずっと、大事な日として過ごしていきたいと思います。あと、もう一度ヨン様にグラン・ツールで派手に勝ってもらいたい。応援しています。

今年のツールドフランスも楽しみです!

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